最近、国内でのCO2の非排出量取引が論議されているが、果たして、それ
が正しいのかどうか、実効性があるのかどうにかついて考えてみます。

確かに、地球温暖化を防止するためにはCO2の大気中への無制限な人為的
な放出は止めるべきことではある。

しかし、おいそれとそれを止めるという訳にはいかない。何故なら、私たち
の文明が、当にそのCO2の大量放出の原因である化石燃料の大量消費によっ
て成り立っているからである。

ただ、これが持続不可能であるのは誰が見ても明らかになってきいぇいます。
既に、その結果としての温暖化によると考えられる気候の異変を感じるよう
になってきている。縦しんばそうでなくても、枯渇性資源を使って使って捨
てるだけと言うやり方では問題は解決不能だということは確かでしょう。

限られた資源である化石燃料の利用は世代間に亘っての公平性に欠けること
は、誰の目にも明らかなのです。

※それは市場で取り引きされるべきものではない。一部のものがその所有権
を主張する。不思議なことに・・・。この地球があって後から出てきた人
間が勝手にその一部、自分のものであると主張しているのだ。

では、CO2を出さないからと地球温暖化防止には原子力と言う選択は、そ
もそもその燃料となるウランが枯渇性資源だし、CO2と言うゴミは出さな
いものの、もっと始末の悪い放射性廃棄物を日々生み出すし、この引き受け
先は未だに決まっていないこよから、まともなものとは到底思えない。メリッ
トを受けた人たちはそれだけを享受してこの世を後に天国へ行かれる。(こん
な輩は、地獄へ落ちろとは思いますが・・・)結局、後始末は未来の人たちが
押し付けられていると言うことなのだ。

人間と言う動物は一般的に自分にとって都合の悪いことは自分からは決して
言い出しもいなければ、それをすることも無い。これは、 はっきり謂って、
年金制度と全く相似形の「問題先送り」という構造的欠陥を抱えている。

そもそも、私たちの文明は産業革命以降では全く構造が変わってしまってい
る。つまり、資源を一方的に劣化させてしまう構造に変わったと・・・。

勿論、初めの内は規模が小さいので影響は殆んど無い様に見えたのだが、そ
れは、確実に限られた資源を劣化させて(食い潰して)、つまり、原資を食
い潰している形になったわけだ。これでは再生産は不可能でしょうし、この
方法は高コストを次世代に押し付けるだけのことになるのです。

まあ、この文明は、極言すれば、後は野となれ山となれ的「利己主義文明」
であると言えましょう。

地球は勝手に人間が収奪することには文句を言わなかったし、今も、そうで
す。大概、自然保護と言う観点から言われたに過ぎない。これも、目先の大
きく利益を齎すということからそれは無視されてきました。ただ、自然の生
産力自体が劣化してしまい、それによって生計を立てていた人たちからの異
議申し立てが偶に起こるだけでした。

でも、ことの本質は、物質循環が崩れ、自然の人間にとっても都合の良かっ
た生態系が変化し始めていると言うことです。

私たちの生態系が、避けがたいエントロピーの増加と言う熱力学の第二法則
に支配されていて、しかし、それでも、水の循環でエントロピーを外部に持
ち出せる定常開放系の仕組みの中で動いているという前提で、次に来るべき
持続可能なシステムは構想されねばならないのだと思う。

生産の現場から離れた都市は殆んどが消費の場となっている。ささやかだが
集めてしまえば圧倒的な力となる利己的要請に応えれば、この地球の生態系
が持たないことは明らかなのです。

私たちは、この一方的な資源収奪型の文明を持続可能なシステムへと早急に
変更しなければならないのです。

勿論、通貨システムの再構築も必要でしょう。現在の資本主義システムが結
局は、富の分配システムとしては人々を敵対的な関係に追い込むと言う点か
らも、そのあり方自体が問われてもいます。

地球と人間の関係を持続可能なシステムに再構築しつつ、人間社会を公正で
公平な、参加メンバーの能力が引き出されて豊かな未来が拓けるシステムが
必要なのです。

ヒントはポールホーケンやエイモリーロビンズ、ハンターロビンズらが提唱
した「自然資本」と言う発想です。これは、地球を有限なもので、人間の損
得の関係の会計に引き込む考え方です。経済外部効果として、放っておけば
良いと自分たちの都合にあわせて利己的に作ってきた経済学をより普遍的な
ものとする試みと言えるでしょう。

こうしてみれば、現代文明の豊かさは自然資本の劣化と対を成しているとい
えるでしょう。一方的収奪。ここが無くなれば、何処か他へ行って収奪を繰
り返す。そこがフロンティアーと呼ばれる場所でした。未開の地には宝があ
る・・・。

しかし、収奪するべき未開の地は既にもう無くなっているのです。では、宇
宙へ?投入エネルギーと産出エネルギーの比を見れば、明らかにマイナスで
す。つまり、今の文明の開発とは資源を劣化させ、未来の人たちの権利を侵
すこととほぼ同義です。

自然の生産力、生態系の復元・維持は、そこから利益を得ているものの義務
でしょう。なのに、殆んどの人たちがフリーライダーになろうとしているの
です。 多分、船は沈みます。

自然資本の劣化を伴わない共生型の文明が構想されねばなりません。 でなけ
れば、子供や孫たちは劣化した地球の上でじいちゃんや親父たちの世代を恨
みながら

縮小経済の中でどうお金の流れを変えるのかを考えるべきなのに、ほんまに
アホやなあと呆れてしまいますがな。




http://osaka.yomiuri.co.jp/eco/news/20100306-OYO8T00240.htm
エネルギー新時代 第一部 蓄電池<5>安定供給へ「電力制御」探る

 太陽光や風力など自然エネルギーを使った発電は、天候によって発電量が大きく変わるのが泣き所だ。電気を蓄え、必要な量だけを家庭に送ることができる蓄電池を「緩衝材」として使い、その問題を解決しようとする試みが始まる。

 関西電力は11月、堺市で出力1万キロ(10メガ)・ワットと世界有数の大規模太陽光発電所(メガソーラー)を一部稼働させる。他の地域の電力会社も含めると、2020年度までに全国の約30地点で、4万世帯の電力需要にあたる計約14万キロ・ワットのメガソーラー建設が予定されている。

 太陽光発電は、晴れた日でも太陽に雲がかかるだけで出力が約3分の1に下がることがある。送電網に流れる太陽光の電気の割合が増えれば、この急変で工場が止まったり、大規模な停電が起きたりするおそれがある。安定供給を使命とする電力各社が、「温室効果ガスの削減に有効なのは原子力発電」という立場を崩さないのはこのためだ。

 それでも、地球の温暖化につながる温室効果ガスを減らすため、「自然エネルギー導入の流れは拒否できない」(関西電力幹部)。そこで、関電は10年度から、メガソーラーにつながる堺市内の変電所で、蓄電池を使った制御システムの研究を本格化させる。

 太陽光発電の量が急に減り、電力が不足したら、蓄電池から送電網に自動的に電気を送って安定させる――。そんな技術の確立が課題だ。太陽光発電が、大幅に普及するとみられる20年ごろまでの実用化を目指す。

 沖縄電力と九州電力も今年、それぞれ離島部に太陽光による発電設備や蓄電池を置き、同様の実証試験を始める。試験に使う太陽光発電は、沖縄電力が計4470キロ・ワット、九電は計110キロ・ワットとわずかだが、「自然エネルギーの普及に向けた貴重なデータ」(沖縄電力)の収集を急ぐ事情は同じだ。

 家庭に置かれる蓄電池も電力網の安定性を保つために、重要な役割を果たす。
太陽光発電設備の付いた住宅が立ち並ぶ大和ハウス工業の分譲地(滋賀県彦根市で)=近藤誠撮影

 大和ハウス工業が10年度後半に発売する「スマートハウス」は、情報技術(IT)でエアコンなどの家電を一元管理し、米アップル社の携帯電話iPhone(アイフォーン)や、室内に設けたモニターパネルで操作できるのが特徴だ。太陽光発電で作った電気をリチウムイオン電池にためて、夜間に使う仕組みも整える。

 さらに目指すのは、「地域の電力需給に合わせて制御できる家」(総合技術研究所の有吉善則所長代行)だ。

 例えば、電力会社から「30分後に曇って急激に太陽光発電の量が減りそうなので、あなたの家の蓄電池から電気を売ってください」という案内が自宅のモニターに届く。住人が「売ってもいいな」と思ったら、画面のボタンを押して売電が始まる、といった未来図だ。

 積水ハウスの石田建一・温暖化防止研究所長も「蓄電池が普及すれば、住宅はエネルギーの大きな供給源になる」と予測する。

 コンピューターやインターネットと結びついた蓄電池が、重要な社会インフラの一つになる日はすぐそこだ。
(2010年3月6日 読売新聞)

そして、原発は地域にとって自立を阻むものだったと言うことが分かる。


40年目の原発 第二部・共生の代償<5>「不交付団体」から転落
電力会社税収などに依存
http://osaka.yomiuri.co.jp/science/news/20100312-OYO8T00312.htm
 「人口減少による税収減。高齢化に伴って介護や医療に充てる予算の増大。この傾向は2030年くらいまで顕著に続くとみられ、対応を考えていく必要がある」。4日に開会した高浜町議会。町長の野瀬豊(49)が施政方針説明で、今後の厳しい財政見通しを語った。

 関西電力高浜原発1~4号機が立地し、関電からの税収や電源三法交付金など〈原発マネー〉の恩恵を受けてきた高浜町に、じわじわと財政難が忍び寄っている。その象徴は、08年度から国の普通交付税の交付団体になったことだ。交付額は1億1071万円と、一般会計歳入の2%足らずだったが、高浜3、4号機建設中の1981年度以来、27年ぶりで受け取った。

 裕福な自治体の称号である「不交付団体」からの転落。主な要因は、原発設備の減価償却が進み、固定資産税の収入が大幅に目減りしたことだ。08年度は23億7800万円(うち関電分18億2752万円)と、ピークだった91年度の42億1598万円(同39億1053万円)の6割以下まで落ち込んだ。

 追い打ちをかけたのが、法人町民税の減収。原油価格の高騰で関電の利益が減少したため、08年度は前年度比65%の1億8671万円にとどまった。「関電の経営状況が良ければ、もう少しの間は不交付団体だったかもしれない」。町の担当者がため息をつく。

 それでも、町が10年度に関電から受け取る見込みの税額は17億2625万円で、町税全体の58%に達する。関電頼みの財政体質は変わらない。

 野瀬は「原発関連業務に携わる町民が増え、地域経済に占める観光の比重が急速に縮小している。産業構造の転換を図らなければならない」と危機感を口にした。

 だが、そんな町長の決意とは裏腹に、町は原発にかかわる〈ボーナス〉を近々手にする。今年秋以降に高浜3、4号機で予定されているプルサーマル発電開始に伴う「核燃料サイクル交付金」。プルサーマル計画の同意自治体に配分され、町には5年間で24億円が入る。町は医療・福祉などの公共サービス機関をJR若狭高浜駅周辺に集約する「高浜コンパクトシティ構想」に活用する考えだ。

 この交付金の適用期限は08年度だったが、国は2月、電源三法交付金の一つ「原子力発電施設等立地地域特別交付金」を活用し、これから計画に同意する自治体にも同様に交付することを決めた。年を経るごとに交付額が減る仕組みになっており、早期同意を促す意図も見える。

 原発関連税収が落ち込んだところに、手を変え品を変え提示される交付金という名の“アメ”。立地自治体が原発依存から脱却するのは容易でない。(敬称略)
普通交付税 地方交付税の一つ。全国一律の行政サービスを住民に提供することを目的に、必要経費に見合う額が国税の一部から各自治体へ配分される。十分な収入のある自治体には交付されない。不交付団体は、原子力関連施設や大企業の事業所などが立地する小規模な市町村に多く、県内では2009年度現在で敦賀市とおおい町(合併特例で旧名田庄村分は交付)が該当。美浜町は1977~79年度と82年度が不交付団体だった。
(2010年3月12日 読売新聞)


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