世代的な?違いかもしれないが・・・

高村は世界を構造的な問題として捉えるが、瀬戸内は自分の感性のみで捉える人生論的なもので全体への変革の意思などは全く関係の無く人間が社会的な存在であることについては無関心な稚拙なディレッタンティズムに留まる。

瀬戸内の書くものが受けたのは高度経済成長という時代背景がある。経済は右肩上がりなのだが、それは人間の個別性を問うことなく一様な商品の消費によって自己の存在を問われることとなった訳だが、その教養的参考商品として瀬戸内の作品は大衆向けの商品となった訳だ。そういう意味では自分勝手に生きる事が自由だと錯覚された牧歌的な戦後の日本の幸福な時代を反映する。

そして、資源収奪型の産業資本国家の破綻がやってくる。高村の作品の舞台は徹底的に現代である。その視点はより自分たちが生きる時代の現場を冷静に捉えている。


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