市民共同発電所 は

アパート住まいや転勤族、自分で設置できる屋根を持たず、一度に大金を用意できない若い人たちも、小口で自分の分の電気を自分で作る事が出来る発電所を持つ仕組みです。

「東近江モデル」とは

市民共同発電所だけでなく個人住宅など市民が所有する発電設備をささえる経済的な支援制度です。具体的には太陽光発電などに掛った総費用が20年で金利分を含めて回収できる様な経済的評価を総発電量に対して行い、同時にそれが生み出す経済的価値を地域社会の中で活かすよう配慮した仕組みです。

具体的には

それぞれの発電所の設置年度毎基準発電原価から現行の電力企業の電力料金(売買電価格)との差額分を「ひがしおうみ風と光の未来基金」から補てんするもので、その対象はその設備の総発電量です。この支援は、地域経済への貢献度を考慮し、地域の経済団体との連携によって発行される地域限定期間限定の商品券やクーポン券などの地域通貨によって支払われるものとします。

「ひがしおうみ風と光の未来基金」は

未来を支える自然エネルギーを社会全体で支える仕組み「東近江モデル」をささえる最も重要な基金です。本来は、電源開発促進税のような形で全電力利用者が負担すべきものですが、現時点ではそうした措置が取られておりませんので、地域の事業者や市民のボランタリーな電力料金の1%拠出金をこの原資とします。将来は地域全体で負担される地域電力税をこの原資として、全ての市民共同発電所と家庭用太陽光発電所を支える基金となればと考えています。

何故、「電力税」1%なのか

理由は、公平に電力料金に負担されている事が分かるようにするためです。汚染者負、利用者負担の原則を守って公平で公正に負担されるように掛ける事にします。電力企業の恣意的な操作がなされないようにする措置です。

※現時点では電力への自然エネルギーサーチャージ(太陽光発電サーチャージ分)を原資に自然エネルギー生産者から地方政府経由で環境省に報告が挙がった分の設置年度毎発電原価との差額分をグリーン交付金として支給する。此れと電力企業から振り込まれる電気価値分のお金を原資に地域の経済団体と共同で発行する期間限定通用地域限定商品券で支払われる物とするのが妥当。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

目的
これは、現在、主流となっている化石燃料などの資源収奪型の持続不可能なエネルギー供給システムを、太古の昔から命を支えてきたエネルギーの源である太陽エネルギーを使う、持続可能なエネルギーシステムへと移行させていくための経済的措置であり、同時に、地域経済の自立を目指す取り組みともなるものです。

具体的には太陽光発電などの自然エネルギー変換装置の設置維持に投下された資金がその機器の期待可能稼働期間内での発生エネルギー量に対する支援措置によって回収できる制度=設置年度毎発電原価保証固定価格評価支援制度を確立することにあります。さらに、この成果を疲弊した地域経済の内発的な発展の下支えとなるものとするために地域の経済団体との協働による取り組みを行います。

【参考数字】

東近江市における 地域外へ支払う電力料金の総額は年間 約230億円程度です 

東近江市人口 114,616 人
  8.31% 滋賀県人口比
消費電力量 112,144 万Kwh
消費電灯量 26,137 万Kwh
市域消費電力料金 17,348 百万円 15円にて計算
市域消費電灯料金 5,489 百万円 21円にて計算
一人当たり消費電灯量 2,280 Kwh/年


1. 何故、設置年度毎発電原価保証固定価格評価支援制度を採るのか

成果が誰にとっても分かり易い

過去において国内では設置時補助金によって太陽光発電の普及が図られましたが、残念ながらその成果である電力の総量が全く分かっていません。つまり、kWの成果は数字としては分かるもののkWhの総量が不明なのです。これでは、喫緊の課題であるCO2の削減効果がどれ程なのかが分かりません。さらに、過去に設置された太陽光発電が稼働しているのかどうかも分かりません。事実、NEDO事業などで設置された太陽光発電設備が跡形もなくなっていたりする事例や機器がまともに動いてない事例もあるのです。

また、設置者が稼働状況が他と比べるインセンティブも働きにくく、故障しているものが放置されているという指摘もあります。

日本で採用されている現行のRPS法の成果は?

その目標値があまりにも低いため自然エネルギーの導入を義務付けられている電力会社の自然エネルギーを導入するインセンティブはこれまた異常に低く実際に見てみれば環境価値自体が市場で取引されると言う事で機器の特性による電力の市場価値が見落とされていて、特に系統に繋がった時には社会のピークを支える太陽光発電が異常に低い評価しか与えられていないという問題点があります。

また、機器の価格が下がると言う事では先行設置による経済的なメリットは無く、これまた先行設置をするインセンティブが乏しいと言う点も指摘されています。(事実、これまでの実績では後からやった方が圧倒的に有利でした)これが設置者にとっての消費財でその機器から得られる個別の利益があるなら幾ら高くてもそれを購入するでしょうが、その機器の購入を行わなくても、電力という最終的な目的を満たすと言う点だけに限れば電力会社から電力を購入するよりも経済的に有利な状況が保証されなければ誰も高価な太陽光発電設備を設置しようとはしないでしょう。さらに、電力会社に電力購入の義務はなくその買い取り価格も何時下げられるか分からない電力のボランタリーな仕組みでは長期に亘って資金の回収が行われねばならないこうした機器の購入・設置に多くの人が二の足を踏むのは致し方の無い事です。

これでは、自然エネルギーの導入阻止にしか働かないと言う仕組みになってしまいます。実際に、日本では海外に比べ異常に低い導入目標の為、RPSとはまさにリニューアブル・エネルギー・ストップ法になっています。

では、再度、復活した設置時補助金の問題点は・・

先行設置者との負担の格差がますます拡大し、後からやった方が得だと言う後出しじゃんけんを誉めるような公正さと公平さを旨とすべき公金としては実に不適切な支出となっています。

予算が足りなければ予算の総額でマーケットのサイズが決まり、予算が余れば資金の無駄が起きる。(すでに国家予算は赤字国債を発行しているのだから、使わない金が予算に組まれること自体が無駄、金利分を考えればさらに後年度負担が増える)この、予算が余るという問題はすでに2002年以降補助金の最終年まで続いた問題です。


補助金12年 度~16年度 予算と執行額
NEFより電話取材
平成12年度   145億円    前年度からの持ち越し分 14億円  補正予算 33億円 (電源特会から)
前期 1Kwあたり 補助額 27万円 
後期    同         18万円
補正    同         15万円

平成13年度  235億円  執行額 157億円                  繰り越し  78億円
1Kwあたり 補助額  12万円

平成14年度  232億円  執行額  78億円(繰り越し分)+108億円   繰り越し 124億円
1kwあたり 補助額  10万円

平成15年度  105億円  執行額 124億円(繰り越し分)+105億円   繰り越し  54億円
1Kwあたり 補助額 9万円

平成16年度   52億円  執行額  54億円(繰り越し分)+ 52億円   繰り越しなし
1Kwあたり 補助額 4,5万円

平成17年度予算(案)   26億円
1Kwあたり 補助額 2万円  (後に判明)

さらに、以下に述べるような問題点も指摘されています。

1. 機器購入時に正しい競争が働かず機器の価格がさがらない。

これは有ってはならない事ですが、事実、設置業者が補助金の金額を上乗せした見積もりを出してそのまま請求がなされたと言う事も聞かれます。勿論、設置者が合い見積もりを取って最も望ましいものを購入設置するのなら問題はないのですが、現行の補助金に関わる申請を設置者がするのではなくその殆どを仕事が欲しい設置事業者が代行するということからも、そうした事が平気で行われたと言われています。

2. 設置者は自分が個人で支出した金額のみをコストと計算する。

これは明らかに間違いで、補助金も含めて設置費用に掛った費用と運用にかかる費用の全額とその金利負担分が本来負担されるべき社会的なコストです。電力企業の場合は、これにさらに株主への配当を行うと言うコストまでが載せられます。一方、個人設置の場合は配当にかかる費用は無視できます。この点からみても金利負担分だけで済む個人向け住宅の太陽光発電への支援の方が効率的であることは確かです。

3. 社会全体で見ても悪過ぎる資金効率

さらに、今の製品価格を調べてみると大規模な発電設備の価格と家庭用の価格を同じ1Kwのシステム単価で比べてみると大規模なものが80万円以上、一方の家庭用は安いものは60万円以下、高くても80万円以下で販売施工されているのです。ただ、こうした事業は、設置者が赤字覚悟でするべきものではなく、コストは正しく製品価格、すなわち電力価格に反映されるべきものであり、当然、その電力にかかるコストは需要家が負担すべきものである事は当然のことでしょう。この点から、日本の現状を見るならば、日本の社会は既設の全ての太陽光発電施設の設置者に妥当な金額の電力への料金を支払っていないと言えます。

(これを東近江市でみれば、○○○件年間総発電量(推定)△▽△▽△▽△kWh×25円程度の電力価値が地域内に生産された事になるが実際の経済価値は75円/kWh程度であり(過去加重平均?)その3倍もの価値が地域内から失われている事になります)

今後、こうした正当なコストが負担されると言うことであれば、銀行などに預託されている社会の遊休資金は個人で自らそうした電力を生み出したいとする多くの人たちによって借り入れがなされ、それぞれの家や集合住宅、駐車場、学校、オフィスビル、公共施設などの南面の壁や屋根に、個人がその自らの使う電力への責任を果たすべく送電線に繋がる社会のエネルギー供給のインフラとなる太陽光発電設備を持つことが可能となることでしょう。

電力企業の未来

さて、エネルギー資源を一方的に消費する既存の電力企業も当然、変わっていかねばなりません。あるべき電力企業の未来の姿はどういったものになるのでしょうか・・・(勿論、地域独占と言う実においしい仕組みをそうおいそれとは手放したくはないでしょうが、長期的に見て、電力会社という企業が現在の地域独占の状態であり続ける方が社会全体にとっての利益が少なくなるのは間違いありません。今の延長上に未来を考えるのは無理があります。私たちは未来の世代へ引き継ぐべきこの地球の環境と資源を劣化させてはなりませんし、その維持の為には持続可能なエネルギー供給のあり方へと転換せねばならないのです)

地域にとっても望ましい自然エネルギーベースで考えるなら、送電、配電、発電の3分野での分割を行い、配電網(マイクログリッド)は地域の入り会い地のようなものと考えられるべきでしょう。そこには、個人の太陽光発電がまず入り、各家庭や企業、事業所などに置かれた燃料電池やマイクロガスタービン、所によっては小水力などと既存の大型発電所など高圧送電網で地域外からやってくる大規模電源や、ちょっと離れているもののほぼ同じ規模のマイクログリッドで時間によっては余っている自然エネルギー起源の電力が最新のIT技術によって調整され適切な形で社会に供給される未来が描かれる筈です。

さて、電力が安いか高いかということだけを見るのではなく、その電力に支払われたお金がどんな社会を形作っていくのかにも注目してみましょう。

大昔、いや、つい最近まで、ここ東近江のような地方は、農業を主産業に食べてきていました。いや、地方だけではなくこの国自体がつい最近まで農業を中心としたバイオマスによるエネルギー供給システムに支えられた暮らしをしてきていました。それが明治維新以降の産業資本による近代化によって世界でもまれに見る産業資本国家へと変貌してしまった。農家の二男三男が、娘たちが、都市の産業資本の工場へと動員され都市へと流れて出して行ったのです。地域によっては企業の工場が立地するなどしてそこそこ都市部の繁栄を受けることもできたようでした。

しかし、時代が進みもう田舎から抜くモノがなくなったとして国家は田舎のリストラに入りました。小泉改革と言われたあの時代に郵政民営化、平成の大合併。農業は見捨てられ農業に従事する人は今や数パーセントで後継者もいないと嘆かれています。確かに命を支える米を作っても赤字になるのなら誰もそうした仕事をしようとは思わないでしょう。ボランティアーで頑張りましょうと汗水たらして命を支える米を作っていたら経済的に立ち行かぬ実におかしな社会になってしまいました。

屋根の上を開墾する私たちの取り組みも同様に扱われています。そして、片や、地球から限られた資源を収奪し消費財として社会に供給する私企業は優遇され続けています。そうした国に私たちは住んでいて、いつも時間に追われ、お金お金とせっつかれている・・・。企業もその競争から逃れることはできません。ひたすらに4半期ごとの利益を追求する株主なるものからせっつかれていたのですから・・・。

「別に遊び暮らしていたというわけでもないのに何時の間にかどんどん余裕がなくなる。そして、自分の力では如何ともし難い状況に追い込まれる・・・。何だかおかしい」そんな風に感じている方も多いのではないでしょうか。

世界不況の中でその事が何故、何故起きたのかを問えば、実体経済とかい離してしまった国際通貨システムの問題と実体経済でも問題の多いグローバリズムの問題が見えてきます。

こうした問題が顕在化する中で、地域社会を支えるために地域の自然エネルギーを未来を支えるものとして顕在化するのが今回の取り組みのほかなりません。これは、CO2の削減に止まらず、地域の再生の取り組みでもあるのです。

コメント