巨樹を見る会(一昨日)
2009年10月27日 エッセイ
わくわくの森の会が主催する、巨樹を見る ツアーに参加させていただいた。
台風の影響で朝方からぐずついた天気。会の代表がどうも数日前から風邪気味
だと当日になって参加を取り止めるという。でも、バスの乗り場までは連れて
行きますというので、行くといった手前、やはり行かないとまずいと思って参
加を決める。
で、コウヤマキの巨樹を見るということで、西都の山奥へ、大型バスがやっと
という山道・林道を登って行く。三納・吹山国有林にそのコウヤマキの巨樹は
ある。今なお開削中の林道の工事の終点からさらに30分ほどかけて尾根筋へ
あがってあるくとこの木に行き当たる。 国が国有林の中にある巨樹に森の巨
人と言う名前をつけているがそのうちの一本である。
※コウヤマキは庭園に植栽し、材木としても利用される。世界三大造園木の一
つで、木曽五木の一つ。古代には、棺材として最上級とされた。現在でも、
湯船材や橋梁材として重宝されている。和名は、高野山真言宗の総本山であ
る高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木とされる。
まあ、確かに大きい。しかし、思うに最近作られる人工建造物のほうが遥かに
スケールがでかい。東京などへ行くと呆れるほどの近代的建物郡を見られる。
ただ、これらは謂わば反自然で、環境を食い潰すものであるのだが・・・。
知り合いの外人がいたので彼と話をしていて一番最後に降りていく格好になっ
たらまだ上ってくる方がいる。足がちょっと悪いらしいのだが、がんばって上っ
てきたと言う。私は後を付いていかなかったがブライアンが折角ここまできた
のだからとサポートをして上まで上がって行った。
※ブライアンが言うには雨の日って気持ちいいですとのこと。確かに別の風情
がある。で、晴れの日には思い至らない、水の気持ちになれること。雨粒の
気持ちになれば、コウヤマキの樹幹に沿って滴り落ちて土に染み込み一時し
てからさまざまなミネラル分を一緒に連れて沢の湧き水になる。その旅はせ
せらぎになって山を下っていくのだけど、途中でえの葉の子供たちに会った
りもしながらずっと海まで行くんだ。そして海草の森を育てて小魚たちがプ
ランクトンを食べて大きくなる。そんな様を眺めながら太陽の光が当たって
きらきらと輝く中を暖められて水蒸気になって空へと上がって行く。そこか
ら、また、森へめがけてジャンプする。
ここで下まで降りればずぶ濡れになることも無かったのだが、そこは放ってお
けない。私だって去年の今頃はまだ歩くことすら儘ならぬ状態だったのだ。そ
の苦労は分かる。なら手助けするのが当然だろう。
下りは私とブライアンが両側から支えて一歩ずつ確認しつつ降りてきた。しか
し、長かった・・・。結構な距離。途中、雨が本降りにもなる。で、持って行っ
ていたのはウィンドブレーカのみ暑かったので長袖のボタンダウンのシャツは
途中の休憩時に脱いで腰に巻いていたのだけどこのシャツも防水加工のされて
ないウィンドブレーカーを透過した雨で濡れてぐっしょり下着までも染み透っ
てしまっていた。着替えもなしだったのだけど、バスまで戻ってから別の方が
乾いたウィンドブレーカを貸してくれたのと足の悪かった方がショールを貸し
てくれたので、それ下に羽織って濡れたままでも何とか体温を下げずに最後ま
で過ごせた。(よくまあ風邪を引かなかったものだ)
あそこまで降る事が分かっていたら雨合羽を着ていくのだった。
どうもブライアンは格好山行きの服装であったようで着替えも持ってきていて
温かめのトレーナを着ていた様だったなぁ。(早く衣替えをしておけばあれほ
どの軽装では行かなかったと思うが、何しろ家人が忙しすぎて当家では衣替え
が出来ていない)
さて、この後、彼女は申し訳ながって自分の荷物の中から見つけられたシャツ
をひも付きの入れものに入ったのをブライアンと私とに渡されたのだが、もう
帰る直前で着替える場所も無かったのでそのままで、家人に連絡をして駅まで
迎えに来てもらった。このシャツを返そうとしたのだけど、どうぞ持って帰っ
てくださいと言うのでありがたく頂戴をしてきた。
で、このツアーはこのコウヤマキを見た後、上穂北のクス、都万神社のクスノ
キ、鱗祥院のイチョウ、国分寺のイチョウ、佐土原のヤマモモを巡って終わっ
た。
この方を含め参加者の皆さんは痛く、このツアーは良かったと口々に仰る。私
はあらこんなもんかなあという感想でした。もう少し感動するべきだろうか?
一番の収穫は、あの林道の無かったところがどうなっていったのかと言う話。
尾根筋にはこうした巨樹が残っている自然林があるが、その両脇は呆れるほど
の急斜面でも杉やヒノキが植えられている。戦後の拡大造林による山の荒廃の
姿を実際に見る機会を得たと言うことだ。わざわざあんな所まで行くなんてこ
とは無いからねぇ。
※拡大造林 森林林業学習館から
http://www.shinrin-ringyou.com/
=============================
戦後の拡大造林政策
昭和20年~30年代には、日本では戦後の復興等のため、木材需要が急増しまし
た。しかし、戦争中の乱伐や自然災害等の理由で供給が十分に追いつかず、木
材が不足し、高騰を続けていました。
このため、政府は造林を急速に行なうため「拡大造林政策」を行いました。
「拡大造林」とは「おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを
針葉樹中心の人工林(育成林)に置き換えること」です。伐採跡地への造林をは
じめ、里山の雑木林、さらには、奥山の天然林などを伐採し、代わりにスギや
ヒノキ、カラマツ、アカマツなど成長が比較的早く、経済的に価値の高い針葉
樹の人工林に置き換えました。
政府は「木材は今後も必要な資源で、日本の経済成長にも貢献する」と判断し
ました。そして、木材の生産力を飛躍的に伸ばし木材を大量確保するため、拡
大造林政策は強力に推し進められました。
燃料革命により拡大造林が加速化
この拡大造林の時期は「燃料革命」と重なります。当時の家庭燃料は木炭や薪
が中心でしたが、この時期には電気・ガス・石油に大きく切り替わっていきま
した。もともと農家周辺の里山の雑木林は、家庭燃料や農業に必要な肥料・飼
料などの採取場所として生活に欠かせないものでした。また、都市に薪や炭を
供給する役割も持っていました。木炭や薪などのエネルギー源として利用され
ていた木材は、この燃料革命とともに、もはやエネルギー源としては時代に適
さないと考えられるようになりました。
里山の雑木林等の天然林の価値が薄れたため広葉樹は伐採され、建築用材等に
なる経済的価値の高いスギやヒノキの針葉樹に置き換える拡大造林は急速に進
みました。このスギやヒノキの木材価格は需要増加に伴い急騰しており、木を
植えることは銀行に貯金することより価値のあることのように言われ、いわゆ
る造林ブームが起こりました。この造林ブームは国有林・私有林ともに全国的
に広がり、わずか15~20年の間に現在の人工林の総面積約1000万haのうちの約
400万haが造林されました。 戦後の拡大造林政策
昭和20年~30年代には、日本では戦後の復興等のため、木材需要が急増しまし
た。しかし、戦争中の乱伐や自然災害等の理由で供給が十分に追いつかず、木
材が不足し、高騰を続けていました。
このため、政府は造林を急速に行なうため「拡大造林政策」を行いました。
「拡大造林」とは「おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを
針葉樹中心の人工林(育成林)に置き換えること」です。伐採跡地への造林をは
じめ、里山の雑木林、さらには、奥山の天然林などを伐採し、代わりにスギや
ヒノキ、カラマツ、アカマツなど成長が比較的早く、経済的に価値の高い針葉
樹の人工林に置き換えました。
政府は「木材は今後も必要な資源で、日本の経済成長にも貢献する」と判断し
ました。そして、木材の生産力を飛躍的に伸ばし木材を大量確保するため、拡
大造林政策は強力に推し進められました。
燃料革命により拡大造林が加速化
この拡大造林の時期は「燃料革命」と重なります。当時の家庭燃料は木炭や薪
が中心でしたが、この時期には電気・ガス・石油に大きく切り替わっていきま
した。もともと農家周辺の里山の雑木林は、家庭燃料や農業に必要な肥料・飼
料などの採取場所として生活に欠かせないものでした。また、都市に薪や炭を
供給する役割も持っていました。木炭や薪などのエネルギー源として利用され
ていた木材は、この燃料革命とともに、もはやエネルギー源としては時代に適
さないと考えられるようになりました。
里山の雑木林等の天然林の価値が薄れたため広葉樹は伐採され、建築用材等に
なる経済的価値の高いスギやヒノキの針葉樹に置き換える拡大造林は急速に進
みました。このスギやヒノキの木材価格は需要増加に伴い急騰しており、木を
植えることは銀行に貯金することより価値のあることのように言われ、いわゆ
る造林ブームが起こりました。この造林ブームは国有林・私有林ともに全国的
に広がり、わずか15~20年の間に現在の人工林の総面積約1000万haのうちの約
400万haが造林されました。
=============================
なんとその昔、 この拡大造林のために自然林は皆伐されそこへ籠に10本ほ
どの苗木を背負って急峻な傾斜地に人々がよじ登ってスギ・ヒノキを植えていっ
たそうなのだ。そして、その後、木材の価格が低迷すると期待経済価値が下が
り手入れされること無くスギヒノキは大きくなる。が、間伐もされないで放置
され、山は保水力を失い荒れていってしまった。
この山を再生するにはどういう方策が考えられるだろうか?
思いついたものを一つ
1、CO2の固定化価値を資産価値としてその発生地に認める仕組み
これが 、広く認められれば、木造住宅の価値も上げられる。方法としては、
固定資産税の減免と言う方法がある。一方のコンクリートとかの生産時に大量
のCO2を排出したものには環境負荷税を掛けるべきだろう。
短期的な視点でコストが合う様に見える遠因はやはり、その生成コストを含ま
ない燃料資源=化石燃料にあると思える。
で、今回のツアーでの一番の私にとっての結論というか見えたもの。
一本の木は実は、その周りの木々や自然や生き物たちに囲まれて生きているの
であって、大事なのはその木だけではなく周りの木々や昆虫や目に見えない微
生物らその全体の生命を支える生態系自体なんだということかと思い至りまし
た。
台風の影響で朝方からぐずついた天気。会の代表がどうも数日前から風邪気味
だと当日になって参加を取り止めるという。でも、バスの乗り場までは連れて
行きますというので、行くといった手前、やはり行かないとまずいと思って参
加を決める。
で、コウヤマキの巨樹を見るということで、西都の山奥へ、大型バスがやっと
という山道・林道を登って行く。三納・吹山国有林にそのコウヤマキの巨樹は
ある。今なお開削中の林道の工事の終点からさらに30分ほどかけて尾根筋へ
あがってあるくとこの木に行き当たる。 国が国有林の中にある巨樹に森の巨
人と言う名前をつけているがそのうちの一本である。
※コウヤマキは庭園に植栽し、材木としても利用される。世界三大造園木の一
つで、木曽五木の一つ。古代には、棺材として最上級とされた。現在でも、
湯船材や橋梁材として重宝されている。和名は、高野山真言宗の総本山であ
る高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木とされる。
まあ、確かに大きい。しかし、思うに最近作られる人工建造物のほうが遥かに
スケールがでかい。東京などへ行くと呆れるほどの近代的建物郡を見られる。
ただ、これらは謂わば反自然で、環境を食い潰すものであるのだが・・・。
知り合いの外人がいたので彼と話をしていて一番最後に降りていく格好になっ
たらまだ上ってくる方がいる。足がちょっと悪いらしいのだが、がんばって上っ
てきたと言う。私は後を付いていかなかったがブライアンが折角ここまできた
のだからとサポートをして上まで上がって行った。
※ブライアンが言うには雨の日って気持ちいいですとのこと。確かに別の風情
がある。で、晴れの日には思い至らない、水の気持ちになれること。雨粒の
気持ちになれば、コウヤマキの樹幹に沿って滴り落ちて土に染み込み一時し
てからさまざまなミネラル分を一緒に連れて沢の湧き水になる。その旅はせ
せらぎになって山を下っていくのだけど、途中でえの葉の子供たちに会った
りもしながらずっと海まで行くんだ。そして海草の森を育てて小魚たちがプ
ランクトンを食べて大きくなる。そんな様を眺めながら太陽の光が当たって
きらきらと輝く中を暖められて水蒸気になって空へと上がって行く。そこか
ら、また、森へめがけてジャンプする。
ここで下まで降りればずぶ濡れになることも無かったのだが、そこは放ってお
けない。私だって去年の今頃はまだ歩くことすら儘ならぬ状態だったのだ。そ
の苦労は分かる。なら手助けするのが当然だろう。
下りは私とブライアンが両側から支えて一歩ずつ確認しつつ降りてきた。しか
し、長かった・・・。結構な距離。途中、雨が本降りにもなる。で、持って行っ
ていたのはウィンドブレーカのみ暑かったので長袖のボタンダウンのシャツは
途中の休憩時に脱いで腰に巻いていたのだけどこのシャツも防水加工のされて
ないウィンドブレーカーを透過した雨で濡れてぐっしょり下着までも染み透っ
てしまっていた。着替えもなしだったのだけど、バスまで戻ってから別の方が
乾いたウィンドブレーカを貸してくれたのと足の悪かった方がショールを貸し
てくれたので、それ下に羽織って濡れたままでも何とか体温を下げずに最後ま
で過ごせた。(よくまあ風邪を引かなかったものだ)
あそこまで降る事が分かっていたら雨合羽を着ていくのだった。
どうもブライアンは格好山行きの服装であったようで着替えも持ってきていて
温かめのトレーナを着ていた様だったなぁ。(早く衣替えをしておけばあれほ
どの軽装では行かなかったと思うが、何しろ家人が忙しすぎて当家では衣替え
が出来ていない)
さて、この後、彼女は申し訳ながって自分の荷物の中から見つけられたシャツ
をひも付きの入れものに入ったのをブライアンと私とに渡されたのだが、もう
帰る直前で着替える場所も無かったのでそのままで、家人に連絡をして駅まで
迎えに来てもらった。このシャツを返そうとしたのだけど、どうぞ持って帰っ
てくださいと言うのでありがたく頂戴をしてきた。
で、このツアーはこのコウヤマキを見た後、上穂北のクス、都万神社のクスノ
キ、鱗祥院のイチョウ、国分寺のイチョウ、佐土原のヤマモモを巡って終わっ
た。
この方を含め参加者の皆さんは痛く、このツアーは良かったと口々に仰る。私
はあらこんなもんかなあという感想でした。もう少し感動するべきだろうか?
一番の収穫は、あの林道の無かったところがどうなっていったのかと言う話。
尾根筋にはこうした巨樹が残っている自然林があるが、その両脇は呆れるほど
の急斜面でも杉やヒノキが植えられている。戦後の拡大造林による山の荒廃の
姿を実際に見る機会を得たと言うことだ。わざわざあんな所まで行くなんてこ
とは無いからねぇ。
※拡大造林 森林林業学習館から
http://www.shinrin-ringyou.com/
=============================
戦後の拡大造林政策
昭和20年~30年代には、日本では戦後の復興等のため、木材需要が急増しまし
た。しかし、戦争中の乱伐や自然災害等の理由で供給が十分に追いつかず、木
材が不足し、高騰を続けていました。
このため、政府は造林を急速に行なうため「拡大造林政策」を行いました。
「拡大造林」とは「おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを
針葉樹中心の人工林(育成林)に置き換えること」です。伐採跡地への造林をは
じめ、里山の雑木林、さらには、奥山の天然林などを伐採し、代わりにスギや
ヒノキ、カラマツ、アカマツなど成長が比較的早く、経済的に価値の高い針葉
樹の人工林に置き換えました。
政府は「木材は今後も必要な資源で、日本の経済成長にも貢献する」と判断し
ました。そして、木材の生産力を飛躍的に伸ばし木材を大量確保するため、拡
大造林政策は強力に推し進められました。
燃料革命により拡大造林が加速化
この拡大造林の時期は「燃料革命」と重なります。当時の家庭燃料は木炭や薪
が中心でしたが、この時期には電気・ガス・石油に大きく切り替わっていきま
した。もともと農家周辺の里山の雑木林は、家庭燃料や農業に必要な肥料・飼
料などの採取場所として生活に欠かせないものでした。また、都市に薪や炭を
供給する役割も持っていました。木炭や薪などのエネルギー源として利用され
ていた木材は、この燃料革命とともに、もはやエネルギー源としては時代に適
さないと考えられるようになりました。
里山の雑木林等の天然林の価値が薄れたため広葉樹は伐採され、建築用材等に
なる経済的価値の高いスギやヒノキの針葉樹に置き換える拡大造林は急速に進
みました。このスギやヒノキの木材価格は需要増加に伴い急騰しており、木を
植えることは銀行に貯金することより価値のあることのように言われ、いわゆ
る造林ブームが起こりました。この造林ブームは国有林・私有林ともに全国的
に広がり、わずか15~20年の間に現在の人工林の総面積約1000万haのうちの約
400万haが造林されました。 戦後の拡大造林政策
昭和20年~30年代には、日本では戦後の復興等のため、木材需要が急増しまし
た。しかし、戦争中の乱伐や自然災害等の理由で供給が十分に追いつかず、木
材が不足し、高騰を続けていました。
このため、政府は造林を急速に行なうため「拡大造林政策」を行いました。
「拡大造林」とは「おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを
針葉樹中心の人工林(育成林)に置き換えること」です。伐採跡地への造林をは
じめ、里山の雑木林、さらには、奥山の天然林などを伐採し、代わりにスギや
ヒノキ、カラマツ、アカマツなど成長が比較的早く、経済的に価値の高い針葉
樹の人工林に置き換えました。
政府は「木材は今後も必要な資源で、日本の経済成長にも貢献する」と判断し
ました。そして、木材の生産力を飛躍的に伸ばし木材を大量確保するため、拡
大造林政策は強力に推し進められました。
燃料革命により拡大造林が加速化
この拡大造林の時期は「燃料革命」と重なります。当時の家庭燃料は木炭や薪
が中心でしたが、この時期には電気・ガス・石油に大きく切り替わっていきま
した。もともと農家周辺の里山の雑木林は、家庭燃料や農業に必要な肥料・飼
料などの採取場所として生活に欠かせないものでした。また、都市に薪や炭を
供給する役割も持っていました。木炭や薪などのエネルギー源として利用され
ていた木材は、この燃料革命とともに、もはやエネルギー源としては時代に適
さないと考えられるようになりました。
里山の雑木林等の天然林の価値が薄れたため広葉樹は伐採され、建築用材等に
なる経済的価値の高いスギやヒノキの針葉樹に置き換える拡大造林は急速に進
みました。このスギやヒノキの木材価格は需要増加に伴い急騰しており、木を
植えることは銀行に貯金することより価値のあることのように言われ、いわゆ
る造林ブームが起こりました。この造林ブームは国有林・私有林ともに全国的
に広がり、わずか15~20年の間に現在の人工林の総面積約1000万haのうちの約
400万haが造林されました。
=============================
なんとその昔、 この拡大造林のために自然林は皆伐されそこへ籠に10本ほ
どの苗木を背負って急峻な傾斜地に人々がよじ登ってスギ・ヒノキを植えていっ
たそうなのだ。そして、その後、木材の価格が低迷すると期待経済価値が下が
り手入れされること無くスギヒノキは大きくなる。が、間伐もされないで放置
され、山は保水力を失い荒れていってしまった。
この山を再生するにはどういう方策が考えられるだろうか?
思いついたものを一つ
1、CO2の固定化価値を資産価値としてその発生地に認める仕組み
これが 、広く認められれば、木造住宅の価値も上げられる。方法としては、
固定資産税の減免と言う方法がある。一方のコンクリートとかの生産時に大量
のCO2を排出したものには環境負荷税を掛けるべきだろう。
短期的な視点でコストが合う様に見える遠因はやはり、その生成コストを含ま
ない燃料資源=化石燃料にあると思える。
で、今回のツアーでの一番の私にとっての結論というか見えたもの。
一本の木は実は、その周りの木々や自然や生き物たちに囲まれて生きているの
であって、大事なのはその木だけではなく周りの木々や昆虫や目に見えない微
生物らその全体の生命を支える生態系自体なんだということかと思い至りまし
た。
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